米町公園近くにある地味なスポットです。最初は気にもとめずに通り過ぎたのですが、江戸時代、武家住宅に多く使われていた冠木門(かぶきもん)が気になって戻ってきました。当時、釧路を支配していた佐賀藩の許可を得て漁場の開発に力を入れた佐野孫右衛門の記念碑のある所。アイヌ人を雇い、漁や昆布などで得た資金で道路開発などを行なったそうです。しかし次の4代目孫右衛門で釧路を撤退します。
釧路発祥の地、米町近くにあるこちらの佐野碑園。この前を通ることがよくあり、ここは何なんだろうと思っていましたが、今回、初めてじっくりと中に入ってみました。 公園のように整備されたこの「佐野碑園」という名前の由来は、釧路の漁場開発に尽力した佐野孫右衛門の記念碑があるためなんですね。そのほかにも、アイヌとの交易などに用いられていた久寿里会所の跡地があったり、明治10年に建てられた丸太学校の跡地、...
南大通りにある小さな公園の一角に「佐野氏紀功碑」という大きな石碑が建っています。佐野氏は、釧路千穂の漁場の開発経営に尽力した人で出身は新潟寺泊です。記念碑の横にはアイヌとの交易に用いられた久里会所の跡地もあります。
釧路開発の孫右衛門の碑
米町公園近くにある地味なスポットです。最初は気にもとめずに通り過ぎたのですが、江戸時代、武家住宅に多く使われていた冠木門(かぶきもん)が気になって戻ってきました。当時、釧路を支配していた佐賀藩の許可を得て漁場の開発に力を入れた佐野孫右衛門の記念碑のある所。アイヌ人を雇い、漁や昆布などで得た資金で道路開発などを行なったそうです。しかし次の4代目孫右衛門で釧路を撤退します。
佐野孫右衛門の記念碑があることから佐野碑園と呼ばれているんですね
釧路発祥の地、米町近くにあるこちらの佐野碑園。この前を通ることがよくあり、ここは何なんだろうと思っていましたが、今回、初めてじっくりと中に入ってみました。 公園のように整備されたこの「佐野碑園」という名前の由来は、釧路の漁場開発に尽力した佐野孫右衛門の記念碑があるためなんですね。そのほかにも、アイヌとの交易などに用いられていた久寿里会所の跡地があったり、明治10年に建てられた丸太学校の跡地、...
釧路開拓の功労者の碑
南大通りにある小さな公園の一角に「佐野氏紀功碑」という大きな石碑が建っています。佐野氏は、釧路千穂の漁場の開発経営に尽力した人で出身は新潟寺泊です。記念碑の横にはアイヌとの交易に用いられた久里会所の跡地もあります。